かわらばん

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かわらばん地域版100号 2026年1月

株式会社アルプス技研
   創業者としての理念と実践 ― 激動を越え、起業家育成と地方創生へ ―
 今回はSICかわらばん-地域版-100号発行の節目に、SICの初代代表取締役である株式会社アルプス技研の松井利夫創業者・最高顧問にお話をうかがいました。

 株式会社アルプス技研(以下、アルプス技研)は、正社員雇用の技術者を顧客企業に派遣する「技術者派遣事業」を主な事業として、開発・設計・試作・製造・評価などを請け負う「受託開発事業」、さらに台湾・上海・ミャンマーを拠点とした「グローバル事業」を展開する技術系人材サービス企業である。現在の上場区分は東京証券取引所プライム市場(証券コード:4641)で、グループ企業は国内外に広がり、国内子会社6社、海外子会社3社を保有。人材育成や各種ロボットの技術開発をはじめ、農業・介護分野への支援、地域活性化事業など、多様な分野で社会課題の解決に取り組んでいる。技術力と人材力を融合させた総合的なソリューション提供により、アルプス技研グループは持続可能な社会の実現への貢献を目指している。

 アルプス技研の創業者である松井氏は、新潟県南魚沼市出身で、高校卒業後に上京し、都内企業に就職。昼は働きながら、夜は工学院大学専修学校の電気科に通うという二足のわらじを履き、技術者としての基礎を築いた。転職先の東邦電気工業では、東海道新幹線開業に向けた信号装置の設計に従事。「夢の超特急」のプロジェクトを通じて、機械と電気を融合した“機電一体設計”の構想が浮かんだという。25歳で相模原市内の四畳半の物件を借り、「松井設計事務所」を開業。当時は客先から図面やカタログを持ち帰って設計を行っていたが、依頼元企業の担当者から社内での業務を求められたことが、後の技術者派遣事業の原点となった。1971年1月には有限会社アルプス技研を設立。創業から13年、法人化から10年を経た1981年3月には株式会社へ移行し、社名を「株式会社アルプス技研」とした。社員数は70名を超え、技術者派遣という新たなビジネスモデルの進化に挑んだ。

 1988年、アルプス技研は第5次5カ年計画「組織再構築・独自技術の確立」を社内発表すると同時に、社員に株式公開計画を明らかにした。その先のアルプス技研の成長を株式公開のスキームに乗せていくことが最適な手段であると、熟慮を重ねた上での決断であった。公開に向けた準備は着々と進み、「これから3、4年で上場」と考えていたが、実際には逆境に次ぐ逆境に立ち向かうこととなる。1990年にはグループ社員数が860名に達するも、業績は落ち込み、自社開発製品で思い入れのあった「メルアート21」の事業不振が追い打ちをかけた。監査法人からは在庫処分の要請が入り、その影響も重なって経常利益が急落。上場延期は避けられない状況となった。経営の体系化を図るべく、松井氏は多摩大学大学院(経営学)に入学。理論と実践の融合を目指す一方で、証券会社から幾度となく難色を示され、公開への道は遠のいた。資金繰りも逼迫し、家庭への影響が脳裏をよぎるも、「わが社も覚悟をもって出直す」との言葉に、松井氏の決意がにじんだ。その覚悟が功を奏し、1996年の店頭公開にこぎつける。公開初日、株式はわずか40分で完売。結果的には嬉しい誤算も伴ったが、振り返れば苦難の連続だった。

 1996年の店頭公開を成し遂げた後、会長職に就任。創業者としての役割に一定の区切りをつけ、1999年には㈱さがみはら産業創造センターの社長を引き受け、起業家育成と地方創生をライフワークとして本格的に取り組み始めた。2007年には公益財団法人起業家支援財団を設立。自身が保有するアルプス技研の株式の一部を寄付し、その配当金を原資として、起業家の育成・支援活動を継続的に展開した。さらに2018年には、同財団と公益財団法人とかち財団(2013年まで「財団法人十勝圏振興機構」)の合併を実現。地域活性化を目的に、起業家を支援する仕組みを構築した。地元・新潟県南魚沼市に対しても、2020年と2021年に合計8 億円の寄付を実施。起業家育成支援、リゾートオフィスの整備、田園都市構想の推進など、地域資源を活かした新しい働き方の環境整備に取り組んでいる。松井氏の活動は、企業経営の領域を超え、地域社会の未来を見据えた持続可能な価値創造へと広がっている。

 社名にも記される“アルプス” という言葉。松井氏の登山人生は、1961年に同郷の友人と奥多摩を訪れた際、「田舎に帰ったような懐かしさ」を感じたことから始まったという。翌年には工学院大学専修学校の山岳部に入部し、1963年には北八ヶ岳で新年を迎えるなど、山登りは松井氏の人生観の原点となった。多忙な事業活動の合間にも、たまの休みには登山に出かけ、やがて家族との登山も楽しむようになる。いつかはヨーロッパアルプス、ヒマラヤに挑戦したいという思いを胸に秘めながら、事業の節目である株式公開の翌年、ネパール・カトマンズからカラパタール(5,545m)への登頂に挑戦。その後もアラスカ、ヨーロッパなど世界各地で登山を重ね、再びカトマンズからアイランドピーク(6,189m)への挑戦を敢行。約6 日間の行程を経て頂上に到達したその瞬間、経営と登山が重なり、起業家としてのたゆみなき挑戦の精神を改めて胸に刻んだ。

 松井氏は自らの著書の中で、起業家としての成功の裏にある苦悩や葛藤を率直に綴っている。事業資金が不足した際には、出産資金に手を付けてしまい、妻に必死に謝った経験を明かす。また、オイルショックによる業績悪化で派遣業務が激減し、不貞腐れて床に漫然と転がっていた自身の姿も述懐している。こうした赤裸々なエピソードは等身大の松井氏そのもので、身近で人間らしさを感じさせる。経営でも起業家育成でも、現場では「人間 対 人間」で向き合う揺るぎない松井氏の姿勢こそが、周囲を惹き付け、夢中にさせる原動力になっているのだ。

 本誌が100号の節目となるにあたって、松井氏から相模原に集う起業家や支援者へ、また、起業家創出、スタートアップ支援に熱を帯びている相模原地域に向けてメッセージを頂いた。

 「会社において、仕事から逃げない人材育成が肝要であることは、起業家の成長過程においても同じである。“理論” と同様に、成功を掴み取るまで挑戦し続ける“行動” から本質を理解することで、自身が成長していく。そして、この積み重ねができる人材こそが地域を活性化させ、未来を担うのだ。これは時代を超えた不変の真理である。そのためには夢と志をもつ起業家たちの傍らで、行政などがこれから築こうとする地域の姿を示しながら、起業家たちをつないでいく役割を果たして欲しい。私自身が全国にわたって起業家創出・育成への取り組みを応援してきた中で、十勝には特筆すべき点がある。地域を挙げて起業家育成に挑み、地域の発展に向けた“還元” の仕組みを作り上げた。是非、相模原でもこのモデルを取り入れて欲しい。さらに言えば、北海道ならではの開拓者精神も学ばなければならない。自分たちの土地は自分たちで開拓し、あの広い土地を財産に変えた道産子魂に引けをとらない地元への誇りが不可欠なのだ。相模原にも同様に、誇れる財産はいくつも見出すことができる。私が創業したこの相模原から世界を舞台に飛び立つ起業家が次々と現れるだろう。SICの変革により相模原市の未来も見えてきた。相模原という地域が一体となって起業家の創出・育成に取り組み、社会を変え、未来の創造に挑戦し続けることを願ってやまない。」

※本記事は松井利夫氏へのインタビューおよび著書『克己と感謝と創造-起業家人生を貫く信念』(神奈川新聞社、2024年3月刊)を参考に編集しています。

創業者 最高顧問: 松井利夫(まついとしお)
事務所所在地:   神奈川県横浜市西区みなとみらい2-3-5
          クイーンズタワーC 18階
従業員数:    連結6,414名/単体5,126名(2025年6月末現在)
事業内容:    ◇技術者の派遣事業:事業許可番号 派 14-090001
         ◇ものづくり、技術プロジェクトの受託事業
         (開発、設計、試作、製造、評価)
         ◇有料職業紹介:14- ユ- 090015
URL: https://www.alpsgiken.co.jp/
松井 創業者 最高顧問
自宅4 畳半に製図板と書類棚を置いて スタートした松井設計事務所
1999年のSIC 起工式。手前から松井氏、 小川勇夫相模原市長(当時)
学生起業塾での講話
アイランドピークでナイフリッジと呼ばれる場所に到達。 ここから頂上へ最後のアタックに臨む。