かわらばん

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かわらばん入居版87号 2011年7月

証言で綴るSICの歴史
   「SIC誕生と市産業振興施策の変化」 社会福祉法人 相模原市社会福祉事業団 理事長 渡邊 亮
 相模原市は日本有数の内陸工業都市として加工組立型産業を中心に工業集積を高めてきましたが、経済社会情勢変化の影響を受け1990年代半ば以降、工業を含む市内産業は停滞を余儀なくされてきていました。

<21世紀初頭に向けた産業振興ビジョンの策定>
 それまで相模原市では、工業、商業、農業の分野ごとに計画を策定し施策の推進をはかってきましたが、“従来の農業・工業・商業の枠にはとらえきれない産業の登場や、それに伴う産業間の連携及び都市計画・環境・文化等、幅広い分野との連携や調整が求められるなど、総合的・横断的な産業振興が必要とされる”との考えの下、平成7年4月に3分野を統合した新しい計画づくりに着手、平成8年3月には「豊かな生活文化を創生する産業を目指して」を将来像とし、①市民・消費者の立場に立った産業の振興、②未来に向けた提案能力のある産業の振興、③ネットワークを活用した産業の振興、④環境の保全・調和を考えた産業の振興、⑤進む国際化に対応した産業の振興を基本方針とする「さがみはら産業振興ビジョン」を策定しました。

<技術力と創造性を生かした工業の振興>
 このうち工業分野については「技術力と創造性を生かした工業の振興」をテーマに、①中核企業をめざした経営革新、②新技術を生かしたベンチャー企業の創出、③地域共生型工業への転換、④先端技術・研究開発ゾーンの形成の4つの柱を立てて施策を推進することが掲げられました。

<ビジョン推進のための組織改編、産業振興課の新設>
 翌年の平成9年4月にはこのビジョンを推進するため庁内組織改編により産業振興課が新設され、私は初代の産業振興課長として課員と共に施策推進に当たることとなりました。
当時、工業、商業、農業の枠を超えて産業人が連携を図る「さがみはら経済人フォーラム」、広域多摩地域の産業活性化協議会への参加と連携による「産業情報センター機能の強化」、市内企業の海外展開支援のための「無錫市との経済交流」など、具体化に懸命になったことが思い出されます。

<産学共同研究開発支援施設整備構想>
 後にSICの形で結実することになった「産学共同研究開発支援施設」は、「首都圏の内陸部における交通の結節点として、首都東京へのアクセスも良く市内を始め近隣には多くの研究開発機関や大学等の立地が見られ、未来志向の創造的な事業活動にチャレンジしていくのにふさわしい環境条件を備えている。今後、企業間、産業間、産学間のネットワークを活用することにより新しいライフスタイルの提案や新しい技術の提案等、常に前向きでチャレンジ精神あふれる産業活動の振興を図る」との考えのもと、産業集積活性化法の適用を受けた施設として構想されました。

<活発な議論を期待し、若手経営者中心に編成>
 1年間の準備期間を経て平成10年の4月には、「産学共同研究開発支援施設に関する検討会」を発足させましたが、メンバー編成に当たっては次のことを重点に進めることを構想しました。
・市の提案をそのまま追認するような会議にはしないこと、活発な議論が行われるよう進行に配慮すること
・産業界のメンバーと市の職員が相互理解を深める機会とし、近い将来、産業界、相模原市のそれぞれの代表として連携できるようその礎を築くこと
 幸い、産業界、庁内ともに理解をえることができ、「若手メンバーによる検討会」が編成され議論が開始されることになりました。その後の経緯については山本氏の記述どおりです。施設否定論も飛び出すなど予想以上厳しく(ある意味では期待どおりに)活発に議論が行われ、実りの多い会議となりました。

<株式会社設立へ―新事業創出促進法の施行>
 検討会での議論が進められているさ中の平成10年12月に新事業創出法が施行され、「新事業創出を狙いとしたインキュベーション施設を整備する場合に、国は地域振興整備公団を通じて出資すること、出資の受け皿・運営主体として株式会社を設立すること」などを内容とする新たなスキームが経済産業省から示されることとなりました。
株式会社の設立など前例のない事柄で困難も多くありましたが、上記の検討会での議論の動向も踏まえ庁内で議論を重ねた結果、新法適用の方向へと舵を切ることになりました。

<略歴>
 平成9年4月から平成14年3月まで産業振興課長
 平成14年4月から平成15年3月まで経済部長