かわらばん

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     ちいたび
かわらばん入居版68号 2010年1月

石川の日光街道 道中記 第2回
   ― 22年1月11日(月)草加宿~杉戸宿 ―
 草加は慶長のころまでは、千住と越谷の間は沼地が多く迂回をしなければならなかった。埋め立てて直線化を図ったが、そのときの造成工事にたくさんの草を使用したところから「草加」と呼ばれるようになり、宿が設置されたのは寛永7 年(1630)といわれる。
 駅前にはせんべいを焼く「おせんさん」のブロンズが迎えてくれる。さすが本場!前回の歩き終えた草加市役所の角に建つ地蔵堂から7:30 スタートする。人通りの少ない街道を進むと、道路元標やおせん茶屋があり、その先には宿を作った大川図書の墓のある東福寺がある。本堂には正月飾りがあり、立派な彫刻がある。程なく宿の南端にでると札場河岸公園で芭蕉像や望楼がある。綾瀬川沿いの東京外環道までの1.5 km の松原遊歩道は、矢立橋・百代橋が道路を跨ぎ松並木も整備され「日本の道100選」に選ばれている。蒲生大橋を渡ると埼玉県内の日光街道に現存する唯一の一里塚である「蒲生の一里塚」となる。
 土手沿いの街道は国道49号線に合流し越谷宿に入りJR 武蔵野線を潜り、さらに進むと瓦曽根の交差点右手には照蓮院があり、武田勝頼の遺児千徳丸の小さな供養塔がある。左に進むと建具屋・旅館・鍛冶屋など土蔵造りの家が点在し宿場であることを感じさせ
る。
 大沢橋を渡り北越谷駅の高層マンションの脇を過ぎ7km ほどで一宮の三叉路にかかりここから粕壁宿に入る。角には芭蕉が宿泊したという東陽寺がある。「春日部」は昭和29年粕壁町と武里町の合併から命名されたもので、この地を治めていた春日部氏に由来している。駅前の街道は近代的な繁華街であるが、600 m ほど先へ進むと地名の由来となった春日部重行の墳墓のある最勝寺・普門院・成就院などが歴史を感じさせる。
 道を戻り古利根川にかかる新町橋を渡り国道16号線を越えて15分ほどで杉戸町の境界となり、ここが北緯36度線上であることを示す地球のモニュメントがある。2.5km 位で堤根の三叉路を左に入ると杉戸宿となる。地酒の「杉戸宿」をみやげにして東武動物公園駅に15:50到着し、帰路に着きました。本日の街道歩行距離は24.3km でしたが、実歩行距離は26km 程度でしょうか。万歩計は41,500歩でした。寒さに震えた一日でした。
つづく

松原遊歩道百代橋
北緯36度線上を示すモニュメント