かわらばん

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かわらばん地域版43号 2016年5月

有限会社フレックス
   パジャマ × インターネット 強みを生かせるニッチ市場で No1を目指す
 パジャマの企画、製造、インターネットサイトを使った販売までを一貫して行う有限会社フレックスの熊坂雅之社長を相模原市緑区橋本の本社に訪ねました。熊坂社長は都内の広告代理店での勤務を経て、1988年に25歳で父親が経営するブランドパジャマの製造を請負うアサヒランジェリーに入社する。バブル崩壊以降は高級パジャマが一気に売れなくなり、売上は年々減少し最盛期の半分になり廃業も考えるような状況に。そんな状況を打開しようと、2000年にパジャマのインターネット販売の自社サイトを立ち上げる。また、子供服のリサイクル店も南大沢に出店した。そして、2002年にアサヒランジェリーを廃業、子供服のリサイクル店も閉じて、有限会社フレックスを創業し、インターネットサイトを使ったパジャマの製造小売業(SPA)に専念する。熊坂さん39歳の時だ。

 実は熊坂さんは2000年12月に横浜市関内にあったクックパッドのオフィスに創業者の佐野陽光氏を訪ねている。佐野氏27歳。1998年に料理レシピの検索・投稿インターネットサイトを立ち上げていた。クックパッドはその当時からとてもよくできたサイトを作っていて、熊坂さんはインターネットサイトの制作を依頼に行ったのだそうだ。その時に佐野さんから楽天を使った販売を勧められ、楽天店舗を2001年1月31日にオープンさせている。また、佐野さんからは「熊坂さんには熊坂さんが戦う場所があるはず、自分の土俵で勝負した方が良い」と助言されたそうだ。熊坂さんは長年培った知識やネットワークを活かせる「パジャマ」とまだまだ発展途上だった「ネット販売」の組合せなら勝負ができると直感したそうだ。自社のサイトでは全く売れなかったパジャマも楽天に出店すると1か月目は35,000円、2か月70,000円、3か月目が140,000円と倍々に増えていったそうだ。しかし、あるところで売上の伸びは止まった。

 そこからは寝食も忘れ、手当たり次第にいろいろなことをやった。プレゼントで顧客のメールアドレスを集めたり、オークションを開催したりとサイトが目立ち賑わうような工夫を繰り返していった。そんな中、ネット業界で著名なコラムニストが同社のシルクパジャマを褒めてネット上で紹介してくれた。そうするとシルクパジャマはもとより、それ以外のパジャマも爆発的に売れ、売切れ続出に。楽天では「入荷と同時に売れてしまい、なかなかモノが買えない店」として有名になったという。そんなこともあり、開設15カ月で売上が月100万円を超える。そして、ネット販売を開始してから16年目の昨年、年商は2億円を超えた。

 同社は商品開発に長い時間をかけている。この糸で、この編み方で、この風合でと、生地の試作から始まる。「本当に差別化できるのは生地だ」と熊坂さんは言う。それから、試作、試着、洗濯を繰り返し、納得がいくまで改善を重ねていく。商品化までは最低で2年から3年はかかるという。だから、新商品は年間5点止まり。じっくり作り込むから良いものが商品化され、ロングセラーになる。リピーターからの受注は売上の25%に達している。毎年のように数多くの新製品を送り出す大手のメーカーとは全く別の道を行く。まさに手作り、工芸品のようなモノづくりが行われている。

 また、顧客との関係も大事にしている。直送のギフト注文以外は商品発送の時に必ずお礼の手紙を添えているし、顧客から寄せられるいろいろな注文や要望には素早く、徹底して対応している。インターネットサイトは最新のIT技術を駆使して自動化や省力化を目指す仕組みだが同社は意識的にリアルな顧客との関係を築こうとしている。

 また、売上の4割はギフト。同社のパジャマを買ったお客さんがそのパジャマを気に入ってくれて、離れて暮らす両親や祖父母、お世話になった友人へ贈る。顧客が顧客を連れてきてくれる。売上が着実に伸びている原動力の一つにもなっている。

 熊坂社長の仕事は商品の開発、アクセス数の増大、情報収集に集中する。「良い商品を創り、それを多くの顧客に見てもらえれば売上はついてくる」というシンプルだが普遍的な考えを追及しているということだ。

 相模原の地で16年間、インターネットサイトを使った製造小売業として、もがき、こだわり、そして楽しみ、成功した熊坂さんと有限会社フレックスのスタッフの皆様に敬意を表したい。

有限会社フレックス パジャマ屋
代表取締役 熊坂 雅之(くまさか まさゆき)
所在地:相模原市緑区橋本4-16-13
従業員数:18名  売上高:2億円
事業内容:パジャマの通信販売

URL:http://www.pajamaya.com/
熊坂社長