かわらばん

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     ちいたび
かわらばん入居版69号 2010年2月

石川の日光街道 道中記 第3回 
   ― 22年1月24日(日)杉戸宿~古河宿 ―
 東武動物公園駅に7:41到着。早速歩き始める。杉戸宿の本陣は明治初年に消失し、表門だけがやや傾き寂しげに建っている。少し進むと幸手城主の一色宮内大輔義直が亡妻のために永禄3年建立した宝生寺がある。江戸時代は寺子屋が、明治時代には杉戸学校があったそうだ。街道の左右には重厚な屋敷の渡辺家や町屋があって、歴史を感じさせる。ほどなく杉戸宿を出て5 km ほど国道4号を進むと旧道がでてくるが、やがて道は丁字路の追分となり、左に行くと日光御成街道、右が日光街道となる。このあたりから6番目の宿場である幸手宿に入る。駅前の商店街のなかに問屋場跡碑や一里塚跡の案内板が見られ、聖福寺・正福寺を巡る。道は4号線と合流し、桜の名所の権現堂堤となり、当日は水仙祭りが開催され
ていた。
 行幸橋を渡り、当時の道標などが残る旧道を歩くと嬉しくなる。さらに1時間半ほどで東北新幹線のガードを潜り、川通神社・会津見送り稲荷神社を過ぎると栗橋宿に入る。「関所破り」の処刑者を供養したと伝えられる焙烙地蔵がある。街道沿いには浄心寺・顕正寺の立派な寺が並び宿場がかなり繁栄していたことを偲ばせる。ふと気が付くと電柱の2.5M 位の高さに赤いビニールテープが巻いてありその下には、昭和22年のカスリーン台風で利根川が決壊し、その時に浸水した水位を示すものだそうで自然の猛威に驚かされる。
 栗橋駅近くには、義経の後を追ってここまできたが病死したと伝えられている静御前が祀られている小公園がある。12時半になったので昼食を摂り13時出発。栗橋は東海道の箱根と並ぶ重要な関所で「房川渡中田関所」と呼ばれた。利根川の土手には関所址碑が残されている。利根川橋の中間が埼玉と茨城の県境になり、渡り終えると古河市に入っていく。すぐに中田宿の案内板があり当時は河川敷に69軒の店屋があり、宿場としての業務は栗橋宿と交代であたる、いわゆる合宿の形態をとっていたことが書かれていた。鶴ヶ峰八幡神社や静御前が帰依したという光了寺そして円光寺と続いている。
 宇都宮線と平行して歩道が整備され、平成6年に植えられた茶屋新田の若い松並木が続く。300年の樹齢の松は、道路拡幅や戦時中に松根油を採るために伐採されたそうで戦争の傷跡ともいえる。市内に入り古河第二高校の校庭隅に古河一里塚がありフェンス越しに写真を撮る。時間が無くなり15:17発の湘南ライナーに飛び乗って帰宅しました。道中距離は23km でした。
つづく

静御前のお墓